香椎セピア通り


香椎セピア通り 2010(写真提供:フォト・スタジオ・アイノ)

  今、香椎の街は激しく変わろうとしている。大きな道が出来、マンションが建ち並び、日に日に街の様子が変化している。この様子を記憶に留めることも「香椎タウンストーリー」の役目と思っております。
 さて、「セピア通り」はいつ命名され、名前の由来は何だろう。いろいろ当地の方々に聞いてもはっきりした答えが返ってこない。やっと分かったのは簡単明瞭「歩道に敷き詰めたレンガの色がセピア色していたから」そこから名付けられたそうです。
 昭和61年4月完成祝賀パレードが盛大に行われ、「香椎セピア通り」は香椎のメーンストリートとして世に出た。
 
 







片男佐海岸


 福 博 歴 史 探 訪
            遊人」発行・編集人である広津秀穂氏よりご依頼があり、
          令和元年の改元GW5月6日に東区香椎界隈を探索ご案内しました。
           香椎地区は博多の北の入り口であり、歴史的にも大きな変貌を続け
          現在は福岡市で有数の人口増加地区として発展を遂げています。
          それは埋め立てと共に海岸線の移動も顕著でその後ろ盾となっています。
           今回はその痕跡を史跡に訪ね、一緒に辿ってみることとしました。
                                    さんぽ会会長 加藤
 


 香椎潟海岸の変遷
 






美し人工砂浜が続く片男佐海岸
(2011.03.02)
現在の片男佐海岸(香椎浜又は御島崎浜海岸ともいう)は松本清張「点と線」の舞台であった時代と比べ、沖合にはアイランドシティが造成されており、肝心の小説「点と線」の現場の岩場は埋め立てられマンションや団地となっている。また、海岸は整備され海に面した場所にはマンションが続々と建設されている。
 過去から現在へと、この間の様子を知るのは香椎宮末社御島の鳥居(綿津見神)だけであろう。
 また、香椎潟の入り江にはアイランドシティと遊歩道を結ぶ人道橋(海浜プロムナード)が架かり(平成25年3月完成)入り江の風景は一変した。
そんな海岸にカメラを持って散歩してみよう。 
御島崎海岸
  片男佐海岸と遊歩道                                  2011.11.24
                

片男佐海岸と立花山
(左から白岳・松尾山・立花山少し離れて三日月山)

アイランドシティ内の建物がない時代
香椎潟と御島の鳥居


2011.02.23建設中の人道橋と御島の鳥居

2011.02.23アイランドシティと御島の鳥居

2011.02.23照葉から片男佐海岸を望む



2007.09.27建設中の高層マンション



2011.02.23 アイランドシティ スカイタワーマンション

片男佐海岸(マンション「アプローズ香住ヶ丘」より)'04.12




アイランドシティ




祝 あいたか橋開通 
2013.03.03
 
 
 
 開通を祝う香椎校区の子どもたち(2013.03.03))